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うなぎのぼり

2022/07/26 05:49:06

  おはようございます。
朝の少し冷んやりとした空気は、気持ちがいいです。
そして朝まだ早い街並みには、これから起き出す静けさを感じます。それもまた、いいものです。
自分がちょっと早起きをしている優越感なのでしょうか。

 23日の土用の丑の日は過ぎてしまいましたが、デパ地下の売り場にはまだまだ鰻や鰻料理が並んでいます。
家族揃って夕食をとる日が限られていたり、外食の予定が入っていたり等、なかなか決まった日に決まった料理を食べるということが難しくなっているのでしょうね。
ですから23日限定ではなく、その前後も含めて鰻週間みたいな扱いなんだなと思いました。

 私の家も、みんなで鰻を食べるのは今日の予定となっています。
以前から予約をしていたうな重なのですが、う巻きも一緒についているみたいです。
わざわざ取りに行かなければいけないのは面倒ですが、お吸い物だけ作っておけば夕食の準備が手抜きできると朝から喜んでいました。

 普段から鰻の値段は高いですが、今年は少し値上がりしてるという声を耳にしました。
鰻の稚魚が獲れなくなってきたということと、ウクライナ情勢や円高による燃料費の値上がりが原因のようです。
 夏バテ防止にはぴったりの鰻なのですが、このように値段が上がっていくと、だんだん手が届かなくなりそうです。

 とはいっても、鰻週間にはやっぱり一度は鰻を食べないといけないという気持ちになります。
人気、価格ともに、うなぎのぼりの鰻です。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

後の祭り

2022/07/25 07:54:01

 おはようございます。
祇園祭・後祭の山鉾巡行も終わり、いよいよ夏真っ盛りとなりました。
毎日暑いので、デコルテのところが大きくあいてるものや、袖が短めの服を着ることが多くなりました。せっせと日焼け止めを塗ってはいますが、ベタベタするのが嫌な感じです。
でも、無防備に紫外線に肌をさらすことを思えば、少しぐらいは我慢です。

 昨日、京阪に乗り四条方面へ、そして四条通りを渡るのに信号待ちをしていました。
信号は赤のはずなのに、たくさんの人が信号無視をしています。
「危ないなあ」と思いながら見ていると、車がまったく通っていません。
白いはっぴを着たお兄さんが小走りに向かう方に目をやると、神輿らしきものが見えました。
後祭の日だと気づきました。

 後祭は、2014年から50年ぶりに復活しました。1,000年続く祇園祭をより伝統的な形で後世に残したいという京都の人々の熱い思いが、半世紀ぶりの復活を叶えたのではないかと思います。
私が垣間見たのは後祭の還幸祭神輿渡御という神事でした。
優雅な山鉾巡行とは対照的ですが、厳かに3基の神輿が八坂神社にご還幸します。

 手遅れや後悔の意味を表すのに、「後の祭り」という言葉があります。
祇園祭の山鉾巡行は、後祭よりも前祭の方が賑やかなことから、「祭りのメインの後に見物に行ってもしょうがない」という意味で生まれた言葉だといわれています。
「後の祭り」にならないよう、今できることには精一杯取り組みたいなと思いました。

 今年は便乗したような感はありますが、祇園祭の宵山と後祭を観ることができました。
祇園祭は、もともと厄災の除去を祈ることから始まったとされています。
何だか、ついでに厄祓いもできたような気になってきました。
今年の夏は、happyなことがあるかもしれません。

 今日も、よい一日をお過ごしください。
    おはようございます。
まだ日の出前の空を借景に、昨夜の月がはっきりとその輪郭を描いていました。
そして、赤銅色に染まる朝焼けとコラボしながら、朝まだ早い空は月と太陽の饗宴のようでした。
明るくなった空。
ポップコーンがはじけたような小さいつぶつぶが規則正しく並んでいる様が、とても可愛らしく思えました。
いわし雲?

 先日、ホテルで昼食会がありました。
コース料理を進めていく途中で、サラダが出てきました。
サラダといえば、おまけのように付いてくるようなイメージのものが多いなか、見た目に美しく美味しそうなサラダでした。
さすがはプロのセンスと技。サラダひとつにも手を抜いていないことがよくわかりました。

 さらにもう一つのこだわりを見つけました。
それは京野菜を使っていたことです。
おそらく、サラダに入っていた水菜、壬生菜、かぼちゃととうがらしがそれではなかったかと思いました。
京野菜とは、読んで字のごとく京都で獲れた野菜のことです。
かなり厳しい規格があり、認定されていないとブランド名を正式に名乗れないそうです。

 厳しい基準をクリアして、「京の伝統野菜」と「ブランド京野菜」にそれぞれ認定されます。
前者の方の厳しい基準の一つ目は、明治維新以前から京都で作られていたものとありました。
後者は、京都産のもののなかでも特に品質が優れたものが認定され、その証として「京マーク」が貼付けされています。
現在認定されている24種類の野菜を総じて「ブランド京野菜」といいます。

 京料理、京懐石、京漬物、京豆腐…。
「京」がつくと人気もあり美味しいのですが、値段の高さも気になるところです。
京野菜もそうです。
同じ水菜でも京野菜となると、倍以上の値段になります。さらにブランド京野菜となると、価格の方もブランドです。
そういうこともあってか、一般の家庭ではあまり馴染みがなく、使っているのはほとんどが料理屋さんのようです。
ハードルも高い、プライスも高い、プライドも高い京野菜です。

 お土産に京野菜をリクエストされたことがあります。まだ食べたことがないからと言われました。
いつもならお菓子を持参するのですが、野菜なら重いけど安くて済むかなという気持ちで、デパ地下に行きました。適当に詰め合わせてもらいましたが、金額を聞いて驚きました。
「野菜だけなのに、こんなに高いの?」と。

 お土産を受け取られた方が、重さだけではなく、この価値を理解してくれることを願っていました。

 今日も、よい一日をお過ごしください。



本日丑の日うなぎの日

2022/07/23 05:51:19

  おはようございます。
久しぶりに月を観ました。
三日月にはまだ少し早い、ちょっとコロンとした形をとても愛らしく感じました。
その隣に星がふたつ並んで、美しく輝いていました。
朝を迎える少し前のとても素敵な空でした。
今日も、何かいいことがありそうな予感がします。

 今日は、土用の丑の日。
今年は、7月23日と8月4日の2回あります。
土用とは四季の四立(立春、立夏、立秋、立冬)の直前の18日間をさします。この期間中の丑の日が土用の丑の日です。
ですから本来は、土用の丑の日はそれぞれの季節ごとにあるのです。
でもなぜか、7月がよく知られています。
鰻を食べる日だと。

 鰻を食べる習慣が広まったのは、江戸時代からだそうです。
「夏に鰻の売上が落ちる」という相談を受けた蘭学者の平賀源内が、「本日丑の日、土用の丑の日うなぎの日 食すれば夏負けすることなし」という看板を立てたら大繁盛したという説があります。
これは、日本初のキャッチコピーといわれています。

 鰻は値段が高いので、なかなか普段は家で食べる機会もありません。
ですが、ビタミンAが特に豊富で100g(三分の二くらい)食べるだけで一日の摂取量を満たすことができるそうです。
ビタミンAは、目の機能や皮膚の健康によいとされています。
最近は目も疲れているし、美肌のためにも、今日は鰻をしっかりと食べようと思います。

 明日は、お肌が艶々になっているかもしれませんね!

 今日も、よい一日をお過ごしください。

 

我儘な志賀流

2022/07/22 05:50:03

  おはようございます。
昨晩から降った雨で、ところどころに水溜りがまだ残っていました。
せっかくの白いシューズが朝から汚れてしまったのが残念でしたが、すぐに洗ってまた白さを取り戻しました。
やはり、白いものはあくまでも白くです。

 昨日は奈良に行きましたが時間があったので、「petitならたび」を楽しみました。
奈良公園の奥へと足を進めると、そこには奈良時代からの自然がそのまま残っているような静寂で素朴な世界が広がっています。
ところどころにある山荘風の建物は年代を感じさせますが、そこがまたまわりの自然に融け込んで、さらに奥深い味わいを出しています。
まるでパワースポットのような空間でした。
そのなかに、ある邸宅を見つけました。
「志賀直哉旧邸」と書かれていました。

 志賀直哉は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。
志賀直哉のファンだったというわけではないのですが、ある本に「志賀直哉の無駄のない文章が小説文体の理想のひとつと見なされ、高く評価されている」とありました。

 「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらあのような文章が書けるのでしょうか」という芥川龍之介の質問に、
「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」と夏目漱石が答えました。
また、「あれほどの事物描写の能力を、自分は持ち合わせていない」と作家志望だった和辻哲郎はその道を諦め、学問の道へと進みました。

 このふたつのエピソードは、志賀直哉の魅力の本質を解き明かしています。
「思うまま書く」志賀流は、「極めて我儘な書き方」でもあります。
わかりやすくとか読者のためにという配慮よりも、興味を抱いた対象にはありありとかたちを目に浮かべ、できるだけ言葉を節し、強く簡潔に素晴らしい鮮やかさで描き出しています。
宮本百合子はそのことを「志賀さんの作品は活字が立っている」と評しました。

 今、あるがままの自然の緑がとても美しい庭を眺めています。
そこに夏の花である愛らしい百日紅が色を添えているのが、とても小粋な演出です。
それがわざと飾られているわけではなく、至って自然なのです。
この美しくどこか懐かしいロケーションを、「思うままに書く」志賀流では、どのような活字として表れるのだろうかと考えていました。

 志賀直哉の奈良での13年間の生活は、彼の生涯のなかで、思うままに暮らし、思うままに語り、思うままに書くというかけがえのない時間となっていたのではないかと思いました。
まさに、我儘な志賀流です。

 今日も、よい一日をお過ごしください。