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ブックホテル

2022/08/05 07:34:34

  おはようございます。
「暑いですね!」が挨拶がわりになってしまったような今日この頃です。

 「盆地だから暑いでしょう?」とよく言われます。確かに、地形の特徴でより蒸し暑さを感じるように思います。
でも、一番暑いのはオフィス街です。
ビルが立ち並ぶエリアには、風はまずありません。またビルの壁面に反射した日差しの暑さやアスファルトの照り返しは半端ではありません。
ですから、約束の時間に少し間があるときは本屋さんなどで時間をつぶしたりします。

 ところが今、街の本屋さんがだんだんなくなりつつあります。
インターネットの普及により、情報誌や週刊誌などの雑誌離れが広がっていること、文庫も不振が続いていることなどが、各地の書店を直撃しているそうです。 
またアマゾンをはじめとするインターネット書店の存在も街の書店の脅威となっています。
そのために、リアルな店舗はどんどん閉店へと追い込まれているそうです。

 自分自身のことを考えると、情報誌や週刊誌はあまり買わなくなりました。スマホがあれば、わざわざ買わなくてもほぼ同じ情報が入手できるからです。
そして、本屋に行かなくなりました。
欲しい本のタイトルさえわかれば、アマゾンで買えるからです。朝のうちに注文すれば、その日の晩に届くこともあります。
わざわざ出かけなくても、読みたい本を手に入れられる便利さに慣れてしまうと、ますます本屋からは足が遠のいてしまいます。

 ですが、時間がある時にたまに本屋に立ち寄ります。そんな時、「本屋大賞」というポップが目に留まり大賞を受賞した作品を手に取り、面白そうだと思うと購入します。
また過去に読んだことのある作品のブックカバーデザインが一新されていることに惹かれます。さらにタイトルが面白そうで、作品紹介をみるために手に取ります。
実際に手に取るということに、インターネット書店にはないリアル店舗らしさを見出します。
そう考えると、私たちが本屋に求めるものが変わりつつあるのではないかと考えます。

 そのような状況のなか、本が生み出す知的で落ち着いた空気感が見直され、さまざまな業態の店が生まれているようです。
東京では「本の街を味わい尽くすホテル」をコンセプトにブックホテルができました。
フロアごとにテーマを設けて、そこでゆっくりと好きなだけ本が読めるそうです。
例えばあるフロアは「青春のあの頃に思いを馳せて」、また別のフロアは「徹夜でミステリー」などです。

 本だけでなく、本と一緒に空間も楽しむことができるなんて、なかなか素敵なホテルだと思いました。
行ってみたいですが、東京となるとちょっと気軽にというわけにはいきません。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

二の丑を美しく

2022/08/04 05:55:16

 おはようございます。
またまたやってきました鰻の日。
8月4日は、土用の丑の日。2度目の丑なので二の丑です。
あちこちで鰻料理が並んでいるのを見かけます。それにこれだけ毎日暑いと、鰻が恋しくなります。
そんなわけで、今日は鰻を食べに行く予定をしていました。

 鰻屋さんに食べに行くといっても、鰻重だけでは面白くないです。また、蒲焼や白焼をアテにお酒をいただくというのも、おつまみが物足りない気がします。
そうかといって、割烹や寿司屋で鰻を焼いていただくのは、鰻屋さんとはまたちょっと違うような。
やはり、丑の日は鰻の専門店で食べたいです。

 というわけで選んだのは京都の奥座敷、岩倉にある松乃鰻寮。
市内からは少し時間がかかりますが、街の喧騒からは離れてゆっくりとお座敷で鰻づくしを楽しむことができます。
また、蒲焼や鰻重だけではなく、あまり他にはない鰻の湯引きやうなべも楽しみです。
身は持ち上げるとくずれそうなくらい柔らかく表面は香ばしくで、さすがは創業80年以上守り続ける秘伝の味わいです。

 というような具合で、鰻を頬張る自分をイメージしていましたが、予約をしようと電話をしたら残念ながら定休日でした。二の丑なのに?と思いましたが、休みではどうしようもありません。
別のお店にとも思いましたが、結局は会席料理になってしまいました。
鰻がメインではありませんが、鰻vs鱧のようなコンセプトの料理に鮎の塩焼きで、二の丑は旬な夏を満喫しようと思います。

 また、今日は箸の日でもあります。
「は(8)し(4)」の語呂合わせにちなんで、割り箸組合が制定したそうです。
鰻専門店ではありませんが、舞台は会席料理のお店です。
箸の日らしく、箸を正しく使い美しい所作を心がけながら料理をいただきたいと思います。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

マスクがつくる匿顔

2022/08/03 06:01:19

 おはようございます。
昨日、埼玉県熊谷市では気温41℃に達するという予報でした。
これまでの国内最高気温41.1℃をいよいよ更新かと注目されていましたが、そこまでには至りませんでした。
でも更新していたとしたら、どうびっくりしたらいいものやら複雑な気持ちです。
どこもかしこも、相変わらずの酷暑ですから。
 
 熱中症に対する警戒が強まっていますが、マスクははずせません。そのマスクのおかげで匿名ならぬ「匿顔」という言葉が、今、注目されています。
マスクで顔を隠すことに慣れてしまって、見せるのが恥ずかしいという心理のことです。
コロナ禍でマスクが当たり前になり、耳慣れぬ言葉が浸透しているのかもしれません。
この「匿顔」は、小学館の「大辞泉」から新語の月間賞に選ばれました。

 「勝手に新奇な言葉を拵えることは慎むべきだ」と、谷崎潤一郎は文章の入門書として執筆した著書の中でいっています。
ですが、SNS等から発生した造語や新語は、日常の会話で普通に使われ、広辞苑にも新たに登録されるようになってきました。
その反面、辞書にはありますが今ではもう聞かなくなった言葉もあります。
造語や新語は、時代とともに移ろうということをしみじみと感じました。

 「全然、大丈夫!」「全然、OKです」という発言をよく耳にします。
今では自然に出てきますが、以前はとても違和感がありました。
「全然」と前につくと、後に続くのは「全然、足りません」などの否定形ではないかと。
ですから、文法上おかしい日本語は使ってはいけないと思い、あえて「全然、問題ありません」と頑なに答えていたことがありました。 

 確か、アナウンサーの方もテレビの番組で同じようなことを言っていたと記憶しています。
 ところが、いつの頃のことか忘れましたが、時代を遡って調べてみると、「全然」という言葉の後に、肯定形が続く文例もあったそうです。

 また、彼女が「この服似合う?」と聞くと、彼氏は「全然!」と答えるのも若い世代では当たり前のようです。
答える相手によったら、怒られてしまいそうなやりとりですが、「似合ってるよ」という意味になるのだそうです。
先に述べた「全然、大丈夫!」というのを省略しているらしいです。

 書く機会が減り、打ち言葉や話し言葉、またはその略語が造語や新語として世に認められるようになってきました。
時代を映す鏡のように、新語や造語はつぎからつぎへと生まれています。
生き残るものもあれば、すぐに忘れ去られてしまうものもあります。
生き残るために必要なこと、それは簡潔明瞭で人の心に響くことではないかと思いました。

 「匿顔」は、簡潔明瞭ではありますが、定着することがないよう願っています。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

 

貴船の夏

2022/08/02 05:52:19

  おはようございます。
今日は、朝からとても素敵な虹を観ました。

 東の空を見上げると、刷毛でシュッと弧を描いたようなすじ雲、そしてそこに寄り添うように黄金色に光る朝焼け、そのコントラストの間に融け込むようなグラデーションがまるで虹のようでした。
 すじ雲を観ると清々しい気分になるといいますが、確かにそのとおりでした。
今日も晴れ。暑い一日になりそうです。

 暑さから逃れるように、京の奥座敷 貴船に行ってきました。
貴船山と鞍馬山に挟まれた細長い渓谷には、料理旅館が建ち並んでいます。
だいたい市内よりも気温は8℃くらいは低いらしく、みんな気持ちよさそうな顔で歩いていました。
ここ貴船は、川床(かわどこ)と呼びます。同じような納涼床である鴨川は、床(ゆか)といいます。

 貴船の川床は、手を伸ばせば届きそうなくらい水面が近く、床から素足を水につけられるくらいの距離がとても魅力的です。
街中のジリジリするような日差しや照り返しの暑さ、京都盆地特有の蒸し暑さも忘れるくらいの涼しさでした。
青々とした木々、その隙間からそよぐ風、貴船川のせせらぎ、自然が奏でる風情に包まれながら、別界で過ごすひとときは格別でした。
「観る涼」「聞く涼」「味わう涼」「感じる涼」に、日々の煩わしさが洗い流されていくようでした。

 そして、貴船川上流には貴船神社があります。
地域名の貴船(きぶね)とは違い、貴船(きふね)神社といいます。
水神であることから、濁らないそうです。
水の神に愛された社には、「水占おみくじ」がありました。
私のおみくじは、吉。
「ものな思ひそ、努力するべし」という水の神のお告げでした。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

オコゼの舞

2022/08/01 06:00:16

  おはようございます。
日の出少し前ですが、あたり一面に響く蝉の鳴き声、その合間を縫うようにしてわずかに聞こえる鳥たちのさえずり、人間よりもかなり早く起きて活動をはじめていますが、そこに何とも夏らしい風情を感じました。
また、朝焼けもとても綺麗でした。
いつもより雲が少なかったので、きっと今日はとてもよいお天気なのでしょう。

 2匹のお魚は、とても仲がよさそうでした。
くるっと体をクネらせて水槽の中央で顔を合わせ、斜めにすれ違うようにして水槽の端へ。そしてまた水槽の真ん中へと。
ずっとその繰り返しでした。
体をクネらせて向きを変えるたびに、尾ひれが水に靡いてひらひらと揺れていました。

 まるで、美しい舞を観ているようでした。
そう思うと、2匹が向き合ったときは口づけを交わしているようにも見えました。
もしかしたら、恋人同士だったのかもしれません。そして、愛の告白をしていたのかもしれません。
ところが2匹のうちの片方が、容赦なく網ですくわれてしまいました。
一瞬の出来事でした。

 しばらくすると、艶々の白身の刺身が出てきました。
身は歯応えもよく白身らしい淡白な味わいのなかにも、上品な美味しさがありました。
見た目、棘のあるグロテスクな外見とは似ても似つかないものでした。
さすがに高級魚といわれるだけあるオコゼでした。
とり残された1匹は、相棒を食べている私を、恨めしそうに見ているような気がしました。

 オコゼは、別名ヤマノカミと呼ばれています。オコゼの干物を山の神に供物する風習があったことによるそうです。
これは、山の神は不器量なうえに嫉妬深い女神で、見にくいオコゼの顔を見ると安心して怒りを鎮めたという話に由来します。
山の神はオコゼ欲しさに何度も願いを聞いてくれるということから、オコゼを山の神に奉って儲けたという伝承がいくつか知られています。
また、オコゼそのものに神の力が宿っているとされる漁師の話もあります。

 オコゼは、海で獲れるけれども山の神とも呼ばれる海と山を繋ぐ不思議な魚です。
残された一匹に睨まれながらも、刺身に唐揚げにとまるごといただいてしまいました。
もしかしたら、山の神のご利益があるかもしれません。

 今日も、よい一日をお過ごしください。