写メ日記詳細
京菜と京漬物
2022/01/30 22:22:13
新キャベツをよく見かけるようになりました。

普通のキャベツよりも葉の巻きがふんわりと緩やかで、そこに陳列されているだけでも柔らかな春の陽射しを感じてしまいます。
また味もみずみずしくて甘く、千切りにするとその違いがよくわかります。
新キャベツの千切り、大好きです。
同じように切っているのに、新キャベツの方が美味しそうに見えるのは、私の欲目でしょうか。
また、今は野菜が安いという話をよく耳にします。
原材料の値上げにより、じわじわと身の回りのモノの値段が上がっていくなかで、これは嬉しい話題でもあります。
冬の定番である鍋やおでんも、野菜の値段を気にせずに作れるのはありがたいなと思います。
野菜といえば、時々ランチに行くお店にちょっと面白いサラダがあります。
それは「水菜のハリハリサラダ」です。
名前のとおり、水菜がメインのサラダです。
水菜は生でサラダに使うと、尖った葉の形のせいもあってか、洒落た感じに仕上がるところが気に入っています。
また、ちょっとピリッとした味わいとシャキシャキ感もいいなと思っています。
水菜を使った鍋料理のことをハリハリ鍋といいますが、このサラダも水菜をメインで使っていることから「ハリハリ」という言葉をあえて名前につけているのだろうと思っていました。
でもそれならば、「ハリハリサラダ」でいいのではないかという思いもありましたが、食べてみてあえて「水菜のハリハリサラダ」とした理由がわかりました。
このサラダには実は隠し味みたいなものがあります。なぜか、黄色いたくあんが入っているのです。
最初に食べた時に、たくあんが入っていることに驚きました。
しかしこのたくあんがまた、生食の水菜によく合うのです。
シャキシャキと水菜を噛んでいる途中で、時折り感じるたくあんのパリパリ感が妙な具合でマッチしています。
そしてその後、口の中に広がる辛さと甘酸っぱさがコラボしたような味わいもなかなかのものでした。
ハリハリサラダの「ハリハリ」には、水菜というだけではなくたくあんの「パリパリ」のニュアンスが含まれているのだとお店の人から教えていただきました。
「なるほど!」と納得しながらも、サラダに漬け物を合わせてみようと思いついたセンスに感激しました。
京都では水菜ですが、京都以外の所では水菜を含む水菜の仲間の野菜を「京菜」というそうです。
また水菜はブランド京野菜にも指定されていて、鍋やサラダ以外にも、京のおばんざいや漬け物のテリトリーでも大活躍です。
そして京都は、京菜だけではなく京漬物もかなり知名度が高いです。
そう考えると水菜のハリハリサラダは、京菜に京漬物という京都の伝統文化が生み出したサラダともいえるのではないかと思いました。
余談ですが、黄色いたくあんを使ったユニークな食べ物をハリハリサラダ以外にも見つけました。
それは滋賀県のパン屋さんにありました。
そのユニークなものとは、「サラダパン」です。

春隣(春となり)
2022/01/25 21:04:02
寒い思いをした1月もあと数日で終わりますが、また2月の厳しい寒さを乗り越えないといけません。

ですが、最近こんな声を耳にするようになりました。
「何だか春が近づいているような感じがする」と。
寒い毎日が続いていますが、その合間を縫うように少しだけ姿を現すほのぼのとした陽射しに、三寒四温という言葉を思い出します。
そして、春を待ち遠しく思う気持ちが満ち満ちてきます。
〜車窓より 感じる心 春隣〜
春隣とは、冬の季語です。
寒さがこたえる真冬の時期にも、かすかな春の予兆に目を向けては、暖かな季節に思いを馳せます。
冬至を過ぎてからは、たとえ寒さが厳しい日にも太陽の光は強さを増して、陽射しは私たちの方へと日々少しずつ少しずつのびています。
自然は確実に、春へと動き出しています。
春隣、私の心はいくつかの春を感じました。
うららかな春の光。
口を開けば「寒い、寒い」というだけあって、外はやっぱり寒いです。
ですが、車窓へと降り注ぐ暖かな光に春の陽気の気配を感じました。
冷たい風が当たらない車内は、ポカポカ陽気で快適です。あまりにも気持ちがよくて、ついうとうとしてしまいます。
眠りを誘う陽気に寄り添う心、春隣。
日長くなりぬ。
夕方になると、「日が長くなりましたね」「まだ明るいですね」という会話をよく交わすようになりました。
以前ならば、17:00になるともう暗くなっていたのを思い出します。
朝も同様です。
以前は、6:00ぐらいでもまだ夜が明けたという感じはしませんでした。
急に日が長くなったわけではありません。
ふと気づけば、そこに時が流れ季節が流れていくのをしみじみと感じます。
移ろいゆく季節のなかで躍動する心、春隣。
早春の味覚に誘われて。
先日見つけた蕗の薹に、ほろ苦い春一番の香りを感じることができました。
早春の味覚のひとつといえば、山菜や野草です。
つくし、わらび、タラの芽などの春の恵みを存分に味わいたいと思いました。
そのほろ苦い味わいは、歳を重ねるごとにその良さがわかるそうです。
他にも、新玉ねぎに新キャベツ、新物のわかめ、「新」とつくだけで、みずみずしい自然の味わいを感じます。
早春の恵みに感謝する心、春隣。
いち早く春の訪れを告げる梅の花。
花よし、香りよし、果実よし。
梅の花は、お正月の慌ただしさを過ぎた頃に、まず先に春の訪れを告げる花で、早春の花といわれています。雪積もる厳しい寒さのなかで、けなげに花を咲かせます。
先日、素晴らしい盆梅を観る機会がありました。
あたりいっぱいに漂う梅の香りと、それぞれに個性ある清らかな佇まいに春の精を見るようでした。
梅の花に酔いしれる心、春隣。
春が待ち遠しいです。

マティーニの流儀
2022/01/23 19:12:56
もう一度観てみたくて録画をしておいた007シリーズ。
スカッとスマートで何をしても様になる007を久しぶりに夢中になって観てしまいました。
だいぶ以前のものを含めて7作品ほどです。
ジェームズ・ボンドがショーン・コネリー、そしてダニエル・グレイグのものでした。
ショーン・コネリーは、初代ジェームズ・ボンドです。その第1作目〜4作目を観ました。どれも1960年代の作品です。
そしてダニエル・グレイグは、6代目ジェームズ・ボンドです。最新作は2021年の作品です。
一番古いものと一番新しいものを観たせいもあるのか、約60年の時の流れをまざまざと感じました。
そして映画のなかにも、60年の時を経たいろいろな違いがはっきりと見えていました。
まずファッションや車体のフォルム、今と比べるとちょっと笑ってしまうほどでした。
次に、007シリーズには必ずつきもののレーダー探知機や無線機、ボンドカーのメカニックなところにもかなり時代の流れを感じました。
初代のものは、どこもかしこもアナログでした。
ITへと突き進んできた過程が、映画のなかにも如実にあらわれているところに感慨深いものを感じました。
1960年代といえば、オフィスにはパソコンはありませんでした。今から考えるとどうやって仕事をしていたのでしょうか。
しかし、どの作品にも変わらないものがありました。それは、マティーニの流儀です。
「ウォッカマティーニをステアせずにロックで」、このジェームズ・ボンドのマティーニは1作目から華麗なシャンパンとともに度々登場します。
本来はジンベースのマティーニを、すっきりとしたウォッカベースに変え、かき混ぜるのではなくより冷たく爽やかに仕上がるようにシェイクするというものです。
これも、モテる男を演出するためのこだわりの流儀なのでしょう。
007オリジナルのカクテル、ヴェスパーも人気があるようです。
こちらは、美女との恋の駆け引きの際のカクテルらしいです。
スカッとスマートで何をしても様になる007を久しぶりに夢中になって観てしまいました。
だいぶ以前のものを含めて7作品ほどです。
ジェームズ・ボンドがショーン・コネリー、そしてダニエル・グレイグのものでした。
ショーン・コネリーは、初代ジェームズ・ボンドです。その第1作目〜4作目を観ました。どれも1960年代の作品です。
そしてダニエル・グレイグは、6代目ジェームズ・ボンドです。最新作は2021年の作品です。
一番古いものと一番新しいものを観たせいもあるのか、約60年の時の流れをまざまざと感じました。
そして映画のなかにも、60年の時を経たいろいろな違いがはっきりと見えていました。
まずファッションや車体のフォルム、今と比べるとちょっと笑ってしまうほどでした。
次に、007シリーズには必ずつきもののレーダー探知機や無線機、ボンドカーのメカニックなところにもかなり時代の流れを感じました。
初代のものは、どこもかしこもアナログでした。
ITへと突き進んできた過程が、映画のなかにも如実にあらわれているところに感慨深いものを感じました。
1960年代といえば、オフィスにはパソコンはありませんでした。今から考えるとどうやって仕事をしていたのでしょうか。
しかし、どの作品にも変わらないものがありました。それは、マティーニの流儀です。
「ウォッカマティーニをステアせずにロックで」、このジェームズ・ボンドのマティーニは1作目から華麗なシャンパンとともに度々登場します。
本来はジンベースのマティーニを、すっきりとしたウォッカベースに変え、かき混ぜるのではなくより冷たく爽やかに仕上がるようにシェイクするというものです。
これも、モテる男を演出するためのこだわりの流儀なのでしょう。
007オリジナルのカクテル、ヴェスパーも人気があるようです。
こちらは、美女との恋の駆け引きの際のカクテルらしいです。
ティファニーで朝食を
2022/01/22 19:05:26
ふわとろのオムレツやスクランブルエッグ、シンプルにゆで玉子、火加減で気分も変わる目玉焼き。

外で食べるモーニングセットには、よく玉子料理がついています。
トーストとコーヒーだけではなく、この玉子料理が楽しみのひとつでもあります。
先日、朝ごはんを食べに行きました。
お楽しみの玉子料理。せっかく外で食べるのですから、ちょっと手間のかかりそうなオムレツにしました。
絶妙な火加減で出てくる鮮やかな黄色を見ているだけでも、素敵な一日になりそうな気がしました。
朝玉子は、健康にいいそうです。
まず玉子は血糖値が上がり過ぎず、消化にも時間がかかります。そのため、腹持ちがよく一日の摂取カロリーを抑えることができます。
また玉子のタンパク質は、良質で脂肪にはなりにくいそうです。ここまでは、よく聞く話です。
さらに玉子に含まれるコリンは、脳を活性化させ、記憶力や学習能力を向上させるそうです。玉子は全食品のなかで、もっともコリンの含有率が高く体に吸収もしやすいとか。
以前は、食べすぎるとコレステロールが…といわれ、「一日に一個」なんて話をよく耳にしましたが、その心配はないみたいです。
というわけで、脳を活性化させるためには朝が一番!と思い、朝玉子2個に取り組んでいます。
毎朝手間をかけずに2個食べようと思うと、まずおもいついたのはゆで玉子です。
しかし、ゆで玉子を作るのは簡単ですが、毎朝2個食べるとなると、ちょっと無理をしないといけません。無理は続きません。
そこで思いついたのが、目玉焼きです。
玉子をフライパンに落として焼くだけですが、最近、飽きないコツを見つけました。
その日の気分で火加減を調整するのです。
ステーキのように、レア、ミディアム、ウェルダンという具合いです。
また、わざと下の方だけをパリパリに焦がしたり、二つ折りにして両面を焼いてみたりします。
二つ折りにすると見た目は焼き餃子のようですが、カリッとした食感と香ばしさが何ともいえません。
イメージどおりに焼けると、その日は何かいいことがありそうな予感すらしてきます。
まるで「ティファニーで朝食を」の気分です。

心に紅さす雪化粧
2022/01/21 21:26:49
朝早く目が覚めました。

カーテンを開けて外の景色を眺めると、あたり一面がうっすらと白く化粧をしているようでした。
予報どおり、夜中のうちに雪が降ったみたいです。
今年に入ってちらちらと舞う雪はありましたが、あたり一面が薄い銀世界に見えるのははじめてのような気がします。
ついつい嬉しくなって、寒さも忘れて付近の散策に出かけることにしました。
まだ誰も足を踏み入れていない道は、ふわふわの真綿を一面に敷き詰めたようでした。
踏んでしまうのはもったいないと思いながらも、一歩、また一歩とゆっくりと足を進めていくと、「ムギュッ」?「ギュギュッ」?いや「ザクザク」?それとも「キュキュッ」?「ククッ」?
しっくりとくるような文字での表現はできませんが、新雪を踏みしめた時の音が何とも気持ちのよいこと。
早朝からのあまりの快感に、さらに一歩づつ進んでいくと、耳に響くその音の心地よさ、それとあわせて目に映る白い世界の純粋さに心を奪われ、無意識のうちに奥へ奥へと吸い込まれていきました。
着いたその先は、静寂の中に佇む幽玄な空間でした。
木々からのびる枝に隙間なく寄り添うように積もった雪が、月明かりに照らされて宝石のように光っていました。
自然の力によるライトアップに魅せられて、「キレイ」という言葉以外は何も浮かびませんでした。
目に見える自然の美しさを愛でながら、目には見えない自然の素晴らしいパワーを感じ、そして今そこに立っている自分がいることに、朝からエネルギーをもらったようでした。
早朝はやんでいた雪がまた降り出しました。
綿菓子がふわふわと踊っているようでした。
その雪がパラパラと私の体に触れるたびに、雪に纏わる数々の思い出が頭の中にも降ってくるようでした。
小さい頃に雪だるまをつくって遊んだこと、かまくらをつくってみたら思いのほか中は温かかったこと、
運転免許取りたての頃、上り坂でスリップして泣きそうになったこと、雪景色の露天風呂に入って水を飲もうとしたら、蛇口から出てきたのは日本酒だったこと…。
語り尽くせないほど、心の中に温めていた思い出があることを、とても懐かしくまた嬉しく思いました。
寒いなかにも、温かなものを感じることができました。
季節を感じること、自然とともに生きること、素敵だなと感じました。
心に紅をさしたような今朝の雪化粧でした。
