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素敵な春の予感

2022/01/20 19:31:46

   今日から大寒です。
大寒は、一年でもっとも寒さが厳しいころのことです。
日がしだいに長くなり、春へと向かう時期でもあります。

 そういえば最近、日の出の時刻がだんだん早くなってきているのを感じています。日の入りも少しずつではありますが遅くなっている気もします。
ですが毎日寒い思いをしているので、寒さだけは厳しいのかどうかは、もうわからなくなっています。

 ところが大寒には、寒いばかりではなく暖かくなる日もあるようです。
 「三寒四温」といわれていて、三日寒い日が続くとその後四日ほど暖かい日があるという意味だそうです。
「大寒とはいえ、寒いばかりではないよ、寒暖を繰り返しながらだんだん春になっていくよ」という季節からのメッセージが感じられる言葉です。
たまたまスーパーで、春キャベツを見かけました。
「春」という一文字に、冬から春への季節の移ろいに思いを馳せていました。

 また今日は、二十日正月でもあります。
すっかりお正月気分が抜け切った感のある今日この頃ですが、正月の祝い納めの日です。
現代にも受け継がれている一風変わった風習があります。
それは、「正月の料理を食べ尽くす」というものです。正月に用意した一匹まるごとの魚の頭や骨を根菜などと煮て残らず食べるそうです。
そのことに由来して、二十日正月は骨正月ともいわれています。
正月のご馳走を残らずいただくことで、実りへの感謝の願いと今年の豊作への願いを込めるのです。

 そういうわけで私も骨正月に習い、今朝は残ったお餅を焼いて食べました。
同じお餅なのですが、お正月に食べた時と少し味わいが違うようにも感じました。
それはきっと、季節の節目と同じような心の節目でもあったのではないかと考えたりもしていました。

 季節を楽しむ七十二候の本は、大寒をもって一年が終わります。
そしてまた立春から一年がはじまります。
そんなことをあれこれ考えていると、新しい春に向けて気持ちの区切りをつけてスタートをするのは、まさに今ではないかという気がしてきました。
 寒いなかにも少しだけ春の気配が感じながら…。







憧れの自然、植治の庭

2022/01/18 19:22:21

寒い日が続いています。
今朝は特に寒いと聞いていたので、ロングのダウンコートを着て行こうかと思いましたが、何だか着膨れしているように見えたのでやめました。
防寒対策と女性らしさというのは、どうも対照的なようです。
悩ましいことです。
 また一方では、悩ましくない対照的なものを観る機会をもつことができました。

 都の賑わいから離れた東山・南禅寺界隈、山の斜面に沿って階段状に延びるホテル。
ホテル内のエレベーターで上がり、廊下を進むとそこに自然の山肌を利用した庭が現れます。
 この庭の第一印象は、力強さ。
まずは斜面に露出する岩の迫力に圧倒されます。
そしてさらに進むと、瓢箪と杯をモチーフにした愛らしい庭があります。
ゴツゴツした無骨な岩肌に愛らしい瓢箪、この好対照が不思議な魅力を醸し出しています。

 その庭は、そこにある美しさを愛でる「静」ではなく自然の営みがそのまま庭になったような「動」を感じるものでした。
自然の岩場と疏水の水が見事に庭の中に取り込まれ、
まるで自然にそのままあるかのような、生命力が伝わってくるようでした。
 ここは、「植治の庭」です。
「そこにある自然をどのように生かすか」という植治の思いの中に、日本の美を観ることができました。

 日本の美、それは四季折々の自然とそれを感じる心、そしてその変化を庭や建造物でけではなく芸術や料理などのさまざまな分野で表現する繊細な技であるように思います。
 あるがままの自然そのものではなく、そこに人の手のぬくもりを見出せるからこそ、自然な安らぎを感じるのではないでしょうか。
自然と人工が奏でる日本人の自然観こそが、日本の美であるのかもしれません。

自然な美しさを凝縮したような空間でした。

極上のおとな時間

2022/01/16 19:25:25

 そこは、賑やかな場所にあるということを忘れさせてくれるような、静かで落ち着いたBARでした。
こんな場所をおそらくおとなの隠れ家というのでしょう。
BARといえば、鮮やかな色のカクテルとドレスが似合うドラマティックなイメージを想像してしまいますが、ここは日本酒オンリーのBARでした。

 日本酒のCMには、和服を着た女優さんが粋な感じでよく登場します。
当たり前のことかもしれませんが、日本酒には純粋に「和」が似合うように思います。
このお店はカウンターだけを見ると普通のBARのようですが、後ろの格子戸や桟敷席のような畳の席、他にもところどころに奥深い「和」の味わいを醸し出していました。
モダンの中に古風な「和」が融合した見事な空間でした。

 グラスに注いでいただいた日本酒は、八重垣の無濾過生原酒。
瀬戸内の穏やかな気候が播州の地にもたらした米と水、その豊かな恵みを丹念に仕込んで最初に醸した新酒です。
しぼりたてならではのフレッシュで豊かな味わいに、しだいに心が洗われていくようでした。
新酒色で満たされた限りなく透明に近いグラスが、和の空間にとてもよく馴染んでいました。

 美しく静かなこの潤いある世界は、やはりおとなの空間です。
ワイワイガヤガヤとした騒々しいものが一切排除され、ゆっくりと艶やかに時が流れていきます。
こんな時は肩がふれ合うくらいの、そして話をする時には息がかかるくらいの距離をとても心地よく感じます。
 リズミカルに語り合う言葉、微笑み合う静かな声、触れ合うグラスが奏でる音、それらをBGMにしながらのほろ酔いのひととき、それは極上のおとな時間でした。

 シリアルナンバーが入った木札には、杜氏の酒造りに対するこんな思いが記されていました。
  酒は心でつくるもの
  酒づくりは仕事ではない愛情だ
  今年も蔵人にありがとう
  感謝を込めた新酒ができました

 心、愛情、感謝。
酒づくりには、人づくりそして極上のおとな時間にも通じるものがありました。

或日のつぶやき

2022/01/15 21:08:18

 年明けて、2週間遅れでやっと自分の部屋の壁にカレンダーを飾ることができました。
大好きな「相田みつを」のカレンダーです。
 他の場所に飾る日めくりなどは早々に用意をしていたのですが、肝心な自分の部屋の壁掛けタイプのものはうっかりと忘れていたようです。
遅ればせながらネットで手配をしました。
 やっぱりこのスペースにはこれがないとしっくりきません。
 早速届いたカレンダーの表紙には、「或日のつぶやき」と題したこんなつぶやきがありました。

「わたしは長い歳月 上にのびることばかり考えてきて 土の中深く根を張ることを 忘れていたようです
ヒョロヒョロと 幹ばかり高くのびて 雑然と枝葉がひろがるようになった時 幹や枝葉の重みに耐えられない 根の弱さに わたしは初めて気がついたのです

気づいた時には手おくれでした 手おくれとわかったとき わたしは思い切って 枝葉を落とすことにしました 
土のなかのわたしの弱い根と 細い幹に支えられるだけの わずかな枝葉を残して あとは、さっぱりと切り捨てました

それは 根の弱い 力のない者が なんとか自分を守りながら 生きていくための 消極的な、しかもそれなりに 勇気のいる生活の智慧でした

とはいうものの 枝葉を落とすとき わたしは やっぱりさびしい気がしました もったいないなあと思いました

しかし おかげさまで いまでは 眼に見えない土の中で 弱かった根が新たな活動を始めたようです 枝葉を切り捨てた分だけ いや、それ以上かも........
だれにもわからない 根だけが知る
静かな充実感を持ちながら........」

 根は土の中に隠れて見えません。
だから、ついつい見えるところばかりに気を取られてしまいがちです。
見えないからと手を抜くと、何かあればたいへんなことになるかもしれません。
頭のどこかでわかってはいることなのですが、つい表面的なことばかり意識して、少しでも上にいけるように自分をアピールすることばかり考えてしまいます。

 「一隅を照らす」の意味を或人に教えられました。
上ばかり見ていると足元が疎かになり、小さい石ころにでもつまずいて転んでしうと。
自分の今立つ場所をしっかりと見極め、その場所で必要なモノ、コトのために全力を尽くすこと、それが一隅を照らすことだと。
 「或日のつぶやき」と「或人の教え」が重なるようでした。

晴れやかに、笹やかに…

2022/01/10 22:54:43

 今日、1月10日は成人の日でした。
朝から成人式に向かう振袖姿の女の子たちをたくさん見かけました。
彼女たちが歩くたびに着物の袖がひらひらと舞う姿に、おとなの世界への扉を開こうとする明るい希望の光が後押しをしているようでした。
蛹が美しい蝶へとなるように、無限に広がる素晴らしい可能性を求めて羽ばたいていくことでしょう。
 朝から晴れやかな気分にさせてもらいました。
 
 2022年4月から、成年年齢が18歳に引き下げになりますが、来年の成人式はどのように行われるのでしょうか。ちょっと楽しみです。

 また今日は、10日ゑびすの日です。
「商売繁盛で笹持ってこい」のえべっさんは、今も昔も関西では初詣以上に混み合うという人気ぶりです。
 笹は「節目正しく真っ直ぐに伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から、家運隆昌、商売繁盛の象徴となっています。
また、福笹につける縁起物(小宝)は、えびす樣への願いや信仰を表します。
 参拝される方々は、神社から授かる野の幸、山の幸、海の幸を模した小宝、または小宝のついた福笹を購入し神社からの御神徳を持ち帰ります。

 10日ゑびすに行ってきました。
もう何度お参りに行ったことでしょう。
えべっさんは、もう今では1月10日前後の恒例行事になってしまいました。
 とにかく人が多いです。
人の流れにギュウギュウ押されながら、福熊手と福箕を買いました。
本殿の正面でお参りをした後、左側へまわって横の戸を軽くたたいてから願いごとをします。
戸をたたくのは、えびす様は耳が不自由だからだそうです。

 何度もお参りに行くうちに、だいぶ学習しました。
福熊手と福箕、大きさにもよりますが結構なお値段です。また、少しずつ値上がりしているようにも思いました。
もったいないと片方だけにしたこともありましたが、それは駄目なんだそうです。
福をかき寄せるための「福熊手」と集めた福をすくい取る「福箕」はセットだと教えられました。
まるで箒と塵取りのようだと思いました。
また、飾り方や飾る方角もあるそうです。

 お参りを終えると、通りには小宝のついた福笹を持っている人がたくさんいました。
ついている小宝を数えながら、それぞれにいくらぐらいかかったのかを計算してしまうのも毎年のことです。
この福笹も、小宝をたくさんつけるとかなり高価なものになります。だから笹だけ買って、小宝は使いまわすという話も聞きました。

 福を授かりに行く十日ゑびすですが、あまり欲張ったりケチったりすると、さすがにえびす様も船に乗って逃げて行かれるように思いました。
〜過ぎたるは猶及ばざるが如し〜
 ほどほどがいいですね!